2013年03月19日
俺的・山中鹿之介観
以下は、私個人の所感であり、おそらく異論アリな方々も居られると思われますが
そのへんはお互いスルーでヨロシクです サバゲに関係ないのもご愛嬌で

山中鹿之介、うちらの地元ではスサノオさんと2大ヒーローです
戦国時代の武将で毛利と尼子の興亡戦で後半の主役張った人
史実でもゲームでもイケメンです
武勇、采配、権謀術数に優れた名将「我に七難八苦を与え給え」のフレーズで有名?

地元広瀬では、山中鹿之助をNHK大河ドラマに、と、けっこうマジでキャンペーンしてます
このように、バスに広告載せるくらい熱いです
ホントに来ると地域活性化にものすごいプラスになるのは各自治体で前例示されてます

鹿之助が戦デビューする頃には
尼子は毛利の計略で軍事の柱を殺してしまいガタガタになって凋落しはじめてました
その状況下において局地的には勝利もあるものの次第に押され城を囲まれます
序盤の大一番、品川狼之介との一騎討ちはこの頃の話です
そして1年半ぐらいの攻防の後に落城します
月山富田城で奮戦するも落城させられた後からのエピソードが個人的に好きで
僧だった遺児を主君に立て御家再興を開始、いろいろあって織田を頼る
武田信玄上洛直前頃の織田軍団において鹿之助率いる尼子勢はたぶん最強だったはず
強敵との戦を避ける織田と違い、毛利両川を相手の戦で相当揉まれてるのが大きいです
明智光秀や羽柴秀吉の下でいろんな所を転戦(捨て駒同様にコキ使われる)
信貴山の松永討伐、丹波但馬攻略、因幡の山名とのやりとり、など
とくに丹波の青鬼があっさり討取られた戦のとき、鹿之助いたから討取れたんだろなと思います
光秀は赤鬼だけでも攻略に3年弱かかってるくらいだから2匹揃ってたら丹波落せなかったハズ
一時期は山陰一帯を抑え御家再興まであと数歩まで辿り着くも、大事な戦で毛利に破れ逆転される
今度は播磨方面から再び攻め上がるも、別所の寝返りで援軍を断たれて上月城で終焉を迎える
少数で大軍と戦う事が多く、労多くして志遂げられず、まさに七難八苦な人生
170cmくらいで容姿端麗&並居る豪傑を一騎討ちで獲るパワフルさ
いかなる困難な時でも冷静かつ大胆な判断ができるマインドの強さ
公明正大でエコヒイキが全く無く礼節や心遣いがスマートにできる人
幼少期には女手一つで育てられ相当貧しく苦労したようで、その人生経験が+に活かされてる人
ちょっとネガティブな書き方すると
ネバーギブアップの精神で御家再興に命を掛けるのは素晴しいですが
潔く腹を切るのが美徳とされた時代においては異端でしょう
目的のためなら手段を選ばない徹底ぶり
何度も脱走を図ったり(赤痢と称して股を切り便所から脱走は有名な逸話)、海賊に身を窶したり
自信過剰で勝負を急ぐ傾向が強い性分か
援軍を待ってから戦うべきという叔父と対立しそのまま打って出て敗戦する、など
そこまで完全無欠ってワケでもないのが、リアリティありますね
山中鹿之助という武将、個人的に理想とする武人に近い存在です (三国志なら魏延)
忠義礼節と武勇だけでなく素でイカれたヒールな面も持ち合わすキャラに親近感が湧きます
後付
この前のゲームで上映した自主制作映画にも繋がる話ですが
山中家はこれだけハードな事の後も皆殺しに遭わずに生き残れて
息子は武士やめて酒造で大成功し、鴻池財閥(三井系)の始祖になりました
のちに毛利家がお金に困った時、頑なにお金貸さなかったという仕返し逸話もあります
尼子家臣団は益田の亀井家(嫁の実家?)が生き残ったため一部がそちらに組込まれ幕末まで続きました
当主の義久は40年の幽閉の後に毛利家臣となり佐々木の姓で残ってます

尼子・布部本陣の水
うちのホームフィールドの近くにあります
俺のソウルウォーターです。肉体的に折れそうな時は汲みに来て呑んでます
鹿之助効果か、力が湧いてくるような効き方します(たぶん気のせいw)
そのへんはお互いスルーでヨロシクです サバゲに関係ないのもご愛嬌で

山中鹿之介、うちらの地元ではスサノオさんと2大ヒーローです
戦国時代の武将で毛利と尼子の興亡戦で後半の主役張った人
史実でもゲームでもイケメンです
武勇、采配、権謀術数に優れた名将「我に七難八苦を与え給え」のフレーズで有名?

地元広瀬では、山中鹿之助をNHK大河ドラマに、と、けっこうマジでキャンペーンしてます
このように、バスに広告載せるくらい熱いです
ホントに来ると地域活性化にものすごいプラスになるのは各自治体で前例示されてます

鹿之助が戦デビューする頃には
尼子は毛利の計略で軍事の柱を殺してしまいガタガタになって凋落しはじめてました
その状況下において局地的には勝利もあるものの次第に押され城を囲まれます
序盤の大一番、品川狼之介との一騎討ちはこの頃の話です
そして1年半ぐらいの攻防の後に落城します
月山富田城で奮戦するも落城させられた後からのエピソードが個人的に好きで
僧だった遺児を主君に立て御家再興を開始、いろいろあって織田を頼る
武田信玄上洛直前頃の織田軍団において鹿之助率いる尼子勢はたぶん最強だったはず
強敵との戦を避ける織田と違い、毛利両川を相手の戦で相当揉まれてるのが大きいです
明智光秀や羽柴秀吉の下でいろんな所を転戦(捨て駒同様にコキ使われる)
信貴山の松永討伐、丹波但馬攻略、因幡の山名とのやりとり、など
とくに丹波の青鬼があっさり討取られた戦のとき、鹿之助いたから討取れたんだろなと思います
光秀は赤鬼だけでも攻略に3年弱かかってるくらいだから2匹揃ってたら丹波落せなかったハズ
一時期は山陰一帯を抑え御家再興まであと数歩まで辿り着くも、大事な戦で毛利に破れ逆転される
今度は播磨方面から再び攻め上がるも、別所の寝返りで援軍を断たれて上月城で終焉を迎える
少数で大軍と戦う事が多く、労多くして志遂げられず、まさに七難八苦な人生
170cmくらいで容姿端麗&並居る豪傑を一騎討ちで獲るパワフルさ
いかなる困難な時でも冷静かつ大胆な判断ができるマインドの強さ
公明正大でエコヒイキが全く無く礼節や心遣いがスマートにできる人
幼少期には女手一つで育てられ相当貧しく苦労したようで、その人生経験が+に活かされてる人
ちょっとネガティブな書き方すると
ネバーギブアップの精神で御家再興に命を掛けるのは素晴しいですが
潔く腹を切るのが美徳とされた時代においては異端でしょう
目的のためなら手段を選ばない徹底ぶり
何度も脱走を図ったり(赤痢と称して股を切り便所から脱走は有名な逸話)、海賊に身を窶したり
自信過剰で勝負を急ぐ傾向が強い性分か
援軍を待ってから戦うべきという叔父と対立しそのまま打って出て敗戦する、など
そこまで完全無欠ってワケでもないのが、リアリティありますね
山中鹿之助という武将、個人的に理想とする武人に近い存在です (三国志なら魏延)
忠義礼節と武勇だけでなく素でイカれたヒールな面も持ち合わすキャラに親近感が湧きます
後付
この前のゲームで上映した自主制作映画にも繋がる話ですが
山中家はこれだけハードな事の後も皆殺しに遭わずに生き残れて
息子は武士やめて酒造で大成功し、鴻池財閥(三井系)の始祖になりました
のちに毛利家がお金に困った時、頑なにお金貸さなかったという仕返し逸話もあります
尼子家臣団は益田の亀井家(嫁の実家?)が生き残ったため一部がそちらに組込まれ幕末まで続きました
当主の義久は40年の幽閉の後に毛利家臣となり佐々木の姓で残ってます

尼子・布部本陣の水
うちのホームフィールドの近くにあります
俺のソウルウォーターです。肉体的に折れそうな時は汲みに来て呑んでます
鹿之助効果か、力が湧いてくるような効き方します(たぶん気のせいw)